自己理解のすすめ
前提 働きたくない
働かないとお金を得られない
お金が無いと生きていけない
働かなければならない
お金を得る方法は雇われ、投資、自ら稼ぐなどあるが、現状できそうなのは雇われ
働かなければお金を得ることができないなう
どうせ働くなら、面白そうなことで働きたい。
少しでも楽しそうなこと
やりたいこと
僕はやりたいことは無いから
楽しそうなことか、面白そうなこと
やりたいことがあれば、もちろんそれ
やりたいこと>楽しそうなこと>おもしろそうなこと
就活がだめだったときのリスクは、民間だろうと公務員だろうと、ある
公務員をもう一度失敗すると、さらに大変なことになる
今の現状をもう1年繰り返すことになる
いや、さらにつらくして、というべきか
つらいなあ
僕は馬鹿だなあ
現状が苦しいときは、過去のことばかり思い返される
これは指標になる
現状の苦しみの度合いを表すものとなる
さて、世の中いろいろ仕事はあるが、専門的な仕事をしていきたいのは事実
この時代、自分ひとりの力で稼げる力をつけたい。
雇われなくてもお金を得ることができる力
力、技術
会社などに属さなくても
パソコンとインターネット環境さえあれば仕事になる力
お金を得れる力
別にITじゃなくても専門的な仕事はある
いくらでもある
なぜIT?
コードの世界は美しいから
論理的で美しいから
コンピュータに詳しくなりたいから
コードを書いて、いろいろなことができるようになりたい
今はまだ何もわからなすぎて、将来のビジョンもコードの世界がどのようなものなのかも見えづらい
とりあえず、現状でよさそうな会社に就職して、お金をもらいながら勉強させてもらえたら、そんなにうれしいことはほかには無いと思う
大学院や、公務員はあとからでもいける
今仮に、公務員や大学院に切り替えなおしたとしても、そこに向かって熱を持って向かえる気はしない
てか、来週水曜日の説明会行ったら、またゼミ出れんやん
英語のほうの調整もだるいな
昼行→一泊が理想なのに
こまったものだな
会社に直接連絡を取ってみるか
話題を戻して、今仮に公務員や院に切り替えなおしたとして、それらに熱を持って向かえるかという話だが、それは無理だろう
直感だが無理そうだ
ということは、まだ就活を続けるべきということだ
なぜそれらに対して熱を持って向かえそうに無いのか
それは、まだ就活をやりつくしてないからだ
まだやれることがあるからだ
それらをやってからでも遅くは無い
遅くは無いというか、やってからではないと動けない
エージェントらにだいぶ振り回された感は否めないが
ゆっくりではあるが業界知識は多少ついた
非常にゆっくりではあったが
ひろゆきも言っていたが、情報が十分でない状態で判断などできない
理想としてはすべての情報が明らかになった上で判断することが望ましいが、それはあくまで理想でしかなく、実際は不可能である
会社について、すべてを知ることは不可能だ
ならば、ホームページや会社説明会などで、可能な限り収集できる情報を元に判断するべきだ
そのような判断しかできないのだから
間違ってない
もう一度なぜITなのかを考えてみたい
専門性の高い仕事をしたい
日々勉強を求められるような仕事をしたい
身に着けた技術一本で食ってける可能性
自由な働き方
能力=収入
ノマドワーク
さてさて、そうしたものを参考に企業選びの基準を考えていく
まず大前提として、働きたくないのであるから
労働時間が短いこと
というか、今までずっと矛盾に感じてきたことがある
それは、働きたくないのに、日々勉強を求められるような仕事に就きたいと考えていることである
しかし、これは矛盾ではなかった
働きたくないが、働かなければならない
どうせ働かなければならないなら、自分の理想とするようなことができる働き方をしたい
理想とするような働き方をしたい
その結果が、労働時間は短い、がしかし、専門的な仕事をしていて、日々の学習が求められるもの、というわけなのである
まったく矛盾はしていない
これはあくまで理想なのである
そして、まったく理想の産物であって、現実に可能性の無いもの、というわけでもないのである
ふはは
運は我に向いているではないか
なにを絶望することがあろうか
なにを眠たいのに寝れない、不眠症に悩まされる必要があろうか
なにを、過去の栄光ばかりを思い出す必要があろうか
時代は、社会は、運は我に向かって吹いている
私が悲観する必要など、なにもないのである
あとは少しの勇気
それと、気力
頑張れるはずである
また話が逸れてしまったので、企業選びの基準に戻るが、もうひとつこのブログを書くということについて感想を述べたいと思う
今私がそうしているように、自分が思っていることを書き起こすというのは、自己理解するにおいて非常によい方法である。
特に、私のように友達がいない人には有効である。
しかし、友達がいるとしても、あくまで他人
自分のために自分の理想どおり尽くしてくれるわけではないのである
むしろ、裏切られることのほうが多い
向こうにとっては所詮数ある人のうちの一人なんであるから
私のように、家族が家族として機能していない場合は、家族でさえかなりの他人である。
というより、どこまでいっても他人は他人なのであろう。
このように文字に起こすということは、言葉でしゃべるより時間がかかるかもしれないが、人と話すよりは様々な制約がないし、記録にも残るのもいい点である。
後で見返すかどうかは別といて、見返すことができるという点で、私を安心させる。
パソコンのキーボードで文字を打つだけなので、ノートに殴り書きするより手も疲れないし、スピードも速いのもよい点である。
自己理解を深める方法としては、このように書き起こす以外にも、先にあげた人と話すということもある
むしろ、通常はそうであるからこそ、先ほど友達がどうこうと取り上げたわけであるが
まぁなんにせよ、自己理解のため、このようにブログに考えを書き起こすことは非常に有用である。
オンライン上に公開せずともよいのではないかという意見も聞こえそうであるが、公開するのがよいのである。
メモやワードで打つだけでは、というか打つ気にさえならない
ここの追求はそれほど興味が無いし、いくらキーボードで打ち込む作業が書きなぐるに比べて楽といえども、2500字も書けば疲れてくるもので、例に漏れず疲れてきたので、この辺にしておく。
企業選びの基準については、また後ほど考えることにする。